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ピーター・グリーナウェイ監督作【ベイビー・オブ・マコン】やっと観た感想・この世は狂人達の幻想

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映画好きの人だと有名な作品ですが

どえらく一般ウケはしていない

「後味が悪い映画 ナンバー1」と言われる名作です。

 

【コックと泥棒、その妻と愛人】という映画に衝撃を受けていたので

ピーター・グリーナウェイ監督は知ってましたし

その映像美も色彩センスも尊敬してます。

 

【コックと泥棒、その妻と愛人】の時もラストに衝撃受けましたけど

今回の【ベイビー・オブ・マコン】はそんなの比じゃないくらいラスト凄いです。

 

 

まず、精神的に弱っている人は絶対に見ない方がいいです

はじめに断っておかねばならないのがここです。

私はわりとなんでも受け入れる派ですし、宗教・神・人のエゴ・欲・汚さ・辛さ

なども全然受け入れます。

「まーいろいろあるよね」的な自分には取り入れないけど

あるモノは認めるスタンスなだけですけど。

 

ホラー映画もサスペンスも好きなんで、人が追いつめられる緊迫感

発狂する感じ、そして目を覆いたくなる映像などもけっこう平気な方です。

 

ですが、この【ベイビー・オブ・マコン】は観終わったあと

精神的にだいぶダメージ喰らいました。

「人」「人間」に対する嫌悪感半端ないかも。

 

ということでこの世を「綺麗なモノ」「少しは汚れもあるけどいいもんだ」

と思っている疑いもしない方は見ない方がいいです。絶対に見ない方がいいです。

 

 

【ベイビー・オブ・マコン】の簡単なあらすじ

1659年イタリアの劇場で「ベイビー・オブ・マコン」という劇がはじまった。

メディチ家の末裔17歳のコシモ(大公)は最前列で鑑賞していた。

 

劇中劇の「ベイビー・オブ・マコン」はどういったお話かというと

人家畜も子が生まれなくなり、農作物は実らず人々の生活は貧困にあえいでいる。

そんな街に醜い老婆の妊婦がいて人々は「腹の中の子は悪魔の子だ」と噂している。

そして今まさに顔に布をかけられ太った肉の塊のような老婆が出産しようとしている

場面からはじまる。

老婆の叫びと共に生まれた赤ちゃんは人びとが驚くほど「美しい赤ん坊」だった。

あまりの美しさに人々は「奇跡の子」としてこの子をあがめはじめる。

この人々の狂乱ぶりをみてその子の姉である少女が「私がその子の母である」とし

「私は処女でこの子は神の子である」と主張し皆を丸め込めることに成功する。

 

少女は実の母(流行病か身体はところどころ腐ったような傷があり、髪は抜け落ち

顔には大きなイボや腫物が複数ある巨漢の年増として描かれている)とその父(年をとっても性欲の塊で働かない男というような描かれ方)を家の一室に閉じ込め

ついに聖母となる。

奇跡の子としてあがめられる実の弟の横に座り

神の子奇跡を乞う民の願いを聞いて祈ってあげる代わりに金や作物、どちらもない家族からは娘を娼婦にして金をおさめさせるようになる。

そうして聖母となった娘と奇跡の子は民衆にあがめられ、富を築き栄華を極める。

これに怒った協会とは対立するようになる。

聖母として財を築いた娘は協会の祭祀の息子である美青年に恋をし誘惑する。

処女であった聖母が男を求め家畜小屋で裸で祭祀の息子と交わろうとした時

奇跡の子が現れ聖母の処女を守るため 雄牛に祭祀の息子を襲わせる。

腹を角で裂かれた祭祀の息子は死に、怒った娘は雄牛を切り裂いて殺してしまう。

 

そこに祭祀と民衆が現れて娘を邪悪な女としてとらえる。

奇跡の子も娘を見捨てる。

奇跡の子は協会の保護下に置かれるが

協会は奇跡の子で金儲けをしはじめる。

奇跡の子である赤ちゃんの涙、唾液、尿、なめたスプーンは

協会のオークションで貴族たちが競って高値で買っていく。

次第にエスカレートしていき赤ちゃんの血の付いた布まで売りはじめる。

 

そうして無理に泣かされ、血をとられ、無理やり排便させられる生活に

弱っていく奇跡の赤ん坊のことろに逃げてきた姉(聖母だった)。

姉は奇跡の赤ちゃんを殺してしまう。

「もう少しで世界が手に入ったのに」

「二人なら世界を好きにできたのに」

そういって泣きながら枕で赤ん坊の顔をふさいで窒息させてしまう。

 

 

赤ん坊の死に起こった協会と民衆。

しかし民衆・特に女たちは協会の司祭の赤ん坊への悪行に嫌悪感を抱いていた。

息子の死の恨みを抱く司祭は娘を罰しようと息巻くが

「処女は罪に問えない」という決まりにもがいていた。

 

 

そんな悔しがる司祭の耳元で大公コシモがささやく。

兵隊に娘の身柄を預けて、処女でなくしてから処罰すればいいと。

そして娘は兵たちに連れて行かれる。

13x13+13+13+13=208人の男達に娘は処女を奪われる屈辱の刑を受ける。

そして娘は208人目の屈辱を受けている中で死んでしまう。

 

死んでしまった娘を見て泣いて「死なせてしまった。。私のせいだ」と嘆くコシモ。

だが皆がコシモは悪くないといい慰める。

 

奇跡の子、聖母だった娘、この2人の子の実の両親も殺されてしまう。

「親の罪は子に引き継がれる」故にこの親がこの悪夢の元凶ということだろう。

 

 

そして奇跡の子(赤ん坊)の葬儀が教会で大々的に行われる。

人々は誰もが悲しみ、もう奇跡の子に奇跡を願えないことに悲しむ。

だが赤ん坊の遺体に群がる民衆が、一人が赤ん坊の髪を剥ぎ取り始めてから

別の一人は赤子の足を斬りおとし持ち帰ろうと布に包む。

そうして我も我もとなった人々にとうとう赤子の遺体は内臓まで解体され

持ちかえられてしまった。

 

 

奇跡の子の足はコシモの元に届けられ

そのきりとられた奇跡の子の足にそっとキスするコシモ。。。。

 

奇跡の子の死によりまた男女の間に子が生まれない、家畜の子も生まれない

作物も実らない状況にもどってしまった。

 

司祭の息子の遺体、娘の遺体、雄牛の遺体の3つが舞台中央に並べられ

劇はフィナーレを迎える。

舞台には出演者が一堂にかいし、会場は拍手喝采で終わる。

 

ここまでが劇中劇のあらすじです。

次で詳しい狂気を解説します。

 

観客と役者と舞台上の世界が同化しはじめる

上の説明で劇中劇を観客として見ていた大公コシモが

途中から劇中の登場人物になっていることにお気づきだろうか?!

 

醜い老婆が出産するときに思わず舞台にあがってしまったコシモ。

そして舞台上では本当に老婆が赤子を生み落し、

その胎盤を舞台上のみんながそのまま食べるシーンがある。

その中心にコシモがいるのだ。

 

そしてコシモは舞台に現実を持ち込み

コシモがコシモとして加わったことで観客側も巻き込まれていく。

劇場は狂乱の民衆ひとかたまりとなっていく。

 

司祭の息子は本当に牛に殺され

聖母役の娘役者も本当に処女の少女だったのに

民衆の狂気に便乗した兵士役の男達208人に本当に犯されて死んでしまう。

 

そして赤ちゃんも本当に解体されてしまうのだ。。。。

 

舞台で流れる血は本物となり

舞台での屈辱は本物の屈辱となり

舞台での死は本当の死となった。

 

そこには本当に神の子がいて奇跡があった。

でも民衆は狂乱のまま神の子と奇跡を自分たちの手で消してしまった。

 

 

子どもの搾取とメディアへの批判から生まれた?

この話をどう見ますか?

監督は当時目にしたとあるブランドの広告に胎児の写真が使われていたことから

「子どもの搾取やメディア」の危険性を訴えかける作品にしたようです。

ただ現代では問題も多いので時代を1600年代にしたとのこと。

 

ただこれはもっと大きな世の中の仕組みへの警笛かもしれないですね。

 

・子どもをくいものにする大人たち

・民衆の狂乱が現実になる(人は臨場感を持っている場を現実と思う生き物)

・狂乱した民衆は支配しやすくなる

・協会・メディア・世の中の金儲け主義

・とどまることのない人のエゴ・欲

 

作品の中では字幕によれば協会側を「科学」と娘が呼んでいます。

ここもポイントかもしれませんね。

 

 

私の深読みな感想と真の恐怖

ピーター・グリーナウェイ監督は色彩で感情を表現します。

・民衆は赤

・協会は白と金色

・奇跡の子は金色

・コシモとその側近たち~初めは白い衣装で後に黒

・物語に中で舞台と民衆の間にいる青塗の男達

 

民衆は狂乱の赤、

協会や奇跡の子は神をたたえる黄金色

わかりやすいですね。

 

私の恐怖は青塗の男達とコシモ達です。

 

青塗の男たちは完全に感情無く進行の手助けだけします。

決められた任務だけ淡々と遂行して傍観しています。

私の解釈ではこれは学者であろうと思います。

歴史を記して残すためにどんなに民衆が狂ってもただただ

見守り流れを見届ける人たち。

 

 

一番怖いのはコシモ達権力者です。

はじめは白、後半は黒です。

そして現実と舞台、役者と民衆を繋いで現実との境目を繋いで

民衆を狂乱に陥れたの発端はこのコシモなのです。

 

娘が舞台上で屈辱の中死んでいく発端も司祭に耳打ちしたコシモです。

 

コシモは芸術を愛し、一見すると心清らかな感受性強い青年に見えます。

舞台に上がっても娘の死にも奇跡の子の死にも悲しんでいましたから。

私も最後の最後まで気が付かなかった。

 

最後の最後のフィナーレでコシモが映画を観ている観客(私)に笑いかけたのです。

この瞬間のゾッとした感じ!

そしてこのベイビーオブマコンのジャケット(か映画ポスター)のデザインって

コシモの顔が中央でチェス盤みたいな床に赤いピンが立っているんです。

 

権力者が民衆の狂乱をコントロールして

民衆は権力者のチェス盤の上で狂乱の舞台を演じているだけないのかもしれない。

 

社会の構造・仕組みそのものが描かれている映画かもしれない。

 

 

そんな風に思いました。

もっと気になることはイントロ部とアウトロ部の悪魔役みたいな人の語り部分です。

 

「またベッドでの男女の営みは苦痛しか生まなくなり、不妊と飢餓の時代に戻った」

 

我々の欲とエゴの増大が出生率に影響するのか??

とちょっと考え込んでしまった。

 

とりあえず精神やられてるのでいったん終わりにします。

 

 

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